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童話(@tatanai_douwa)の詳細です

福岡と腹痛

 コナンのOPメドレーを聴きながら新幹線に揺られること5時間ちょい。見慣れたコインロッカーが出迎えてくれる博多駅にて、3泊4日の福岡旅行がスタートしました。夜にオカマと合流、カラオケを改装して居酒屋にした強引な一次会会場へ。参加者のほとんどが遅刻をするAs the Dewな展開にイライラが加速するものの、結局三次会まで楽しく過ごしました。客引きに導かれるまま流れた三次会会場のカラオケは、まさかの一次会で使用した場所。駅前からほとんど一歩も動かずに深夜三時まで飲み明かし、金曜の夜が終わりました。

 DDD(童貞男子大学生)の友人の家に泊まり、昼前からオカマと再度合流。オカマが「マクドナルドに行ったことがほとんどない」と言い出したため、昼食をマクドナルドでとることに。クルーである僕がプロフェッショナルな注文(一度も聞き返されることなくレジを打たせる注文方法。素人にはまずできない)を見せ、オカマのマクドナルド体験会がスタート。ポテトが揚げたてじゃないことに文句を言うオカマを尻目に、てりやきマックバーガーを食しました。福岡らしさがゼロの昼食でしたが、あれはあれでよかったと思います。この後ほどなくして僕の胃腸が大変なことになるのですが、後述します。

 14時からおしゃれなカフェ&バーに向かい、オフ会二枠目が開始します。思えばこのあたりが一番元気でした。 I can't stop my love for youな昼飲みを終え、オカマのホテルにチェックイン。せっかく天神→天神の完璧な流れを計画していたのに、オカマの二泊目のホテルが博多だったせいで福岡のタクシー会社を無駄に潤わせてしまいました。パスカルが言ったように「人間は考える葦」なのですが、僕らは往々にして考えが空回りするかわいい葦なので、このようなことが頻繁に起こります。しかし、旅は道連れ世は情け。どんなハプニングでも楽しめる心が大切だと感じました。

 18時からは天神の居酒屋でオフ会三枠目。僕の顔が綾瀬はるかに似ているというハプニングが起きましたが、何とか楽しいまま時間が過ぎました。二次会のバーはおしゃれだったし、三次会の博多ラーメン屋はラーメンでした。おそらくこの土曜の夜が童話の胃腸に決定的なダメージを与えたのでしょう。その晩、DDD(童貞男子大学生)の家で上から下から100もの扉がパンチラインを奏でる始末、経験したことのない腹痛と頭痛に苛まれ、ほぼ一睡もできないまま日曜日を迎えることになりました。

 さて、日曜日。強行参加しようかと思ったのですが、12時からのオフ会四枠目はホテルの懐石料理のコースという最高のシチュエーションだったため、頭の中の大天使ミカエルが「どうせ全部吐くわよ」と拡声器で助言する展開に。代打をお願いして、僕はホテルのデイユースで養生することになりました。ホテルでは「デイリーユースありますか?」「デイユースですね」という素晴らしい会話を繰り広げましたが、何とかゆっくり休むことができ、体調はほんの少し回復。顔すら見せないのは失礼だと思い、夕方から二次会のカフェへと向かい、少しだけ参加者の方とお話ししました。

 早めにDDD(童貞男子大学生)の家に戻り、ゆっくりと休んで、今に至ります。博多から東京に向かう新幹線は何故かガラガラで、心地よい帰路を楽しんでいます。オカマは首を痛めてデスロードを彷徨っているようです。僕もまだ胃腸が万全ではないので、あと三日くらいは液体だけで過ごす日々になりそうです。次に福岡に来るときは体調第一で行動したいと思います。参加者の皆さま、本当にありがとうございました。最後に、今朝オカマから来たLINEを載せます。

 

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最近のこと

 渋谷センター街でバイトをしたら左足首の捻挫が酷くなり、完全に肉離れの様相を呈してきた。肉離れの様相を呈すとは思わなかったので混乱しています。一説によると人は死ぬと生き返らないそうです。一瞬を生きる風になりたい。

 上述した通り、僕はバイトを3つかけもちしている。上述していないことを突然書いたのでさぞびっくりしたことでしょう。僕も一緒に驚くので許してください。マクドナルド(収容所)、携帯会社の販売(この世の地獄)、治験(モルモット)の3つ。これらによって僕の喫煙と飲酒と返済は支えられている。あとは喫茶店で読書してブログ書いて。こんな感じの生活。これといった趣味もないけど、充実している。本さえあればとりあえずは生きていけるのだろうな、という感触が掴めた大学生活だったと振り返る。

 本を読むと、すぐに書きたくなってしまうのが悪い癖だ。だから、なるべくそれを抑えるために、読んでいる本に関連することは書かないようにしている。寝かせるのだ。このブログの更新が停滞気味なのもそのせいで、よく言えば「インプットの時期」で、悪く言えば「燃えるゴミなのに燃えない」といったところです。さらに新しいブログを始めることが決まり、そちらの準備もしなければならず、このままでは趣味のWikipedia散策の時間を削らないとブログ記事が書けないのです。クズはすぐ時間を言い訳にしますが、逆説的に言えば「時間を言い訳にすることでクズを証明する」というパラダイムシフトをしたわけです。パラダイムシフトではないので気にしないでください。哲学用語は用法用量を守らないと死にます。

 現在主に読み進めているのは『思想のドラマトゥルギー』『認知言語学 基礎から最前線へ』『言語における意味』『レトリック事典』だ。これらに関することは記事にしないように努めている。若干22歳の陰毛生え立てサラブレッドは、他者に影響を受けやすいのです。ちゃんと自分の中から言葉が出てくるのを待つ。自分への誠意というか、自分の矜持というか。

 今後のメインはエッセイになるでしょう。「推敲研究所」というブログも開設します。研究員が徐々に集まってきたので、明日あたりから原稿の整理しようかな。最近は、相変わらず肚にフィロソフィー抱えたまま、ギリギリchopとMysterious Eyesを聴いています。

東武東上線とロベルト

 東武東上線はゴミ。

 珍しく夕方まで埼玉県にいた僕は、夜ご飯を食べに神保町まで出かけようとしていました。東武粗大ゴミ線で池袋まで行き、老人と地蔵の街巣鴨まで山手線、そこからさらに都営三田線(”都営”って見るたびに思うんだけど本当に東京都が運営してるのか?)で神保町まで。ざっと計算して45分くらいの小旅行。埼玉のカフェでのんびりしながら「あ~、ちょっと早めに着こう。俺は天才だから」と思い、何だか機嫌が良かったときの父親(もういません)に貰ったクレドールの30万くらいする時計に目をやりました。18時ちょっと前。約束は19時だったので、余裕も余裕、おそらく途中の巣鴨で地蔵にお百度参りができるくらいの圧倒的な余裕を感じて、心の中のサザンオールスターズが涙のキッスをもう一度求めたあたりで颯爽と、それはもう颯爽とコート(ブックオフで買いました。ブックオフでコートを買う22歳ヤバくないですか)を着て席を立つ。

 池袋が目前に迫ったころ。ウォークマンで昔懐かしのRADWIMPSを聴きながら本を読んでいた僕は、電車が動いていないことに気づきました。「あれ、おかしいな」と思うでしょうか。埼玉素人の方々はそうなんでしょうけど、僕らは埼玉のプロ。埼玉に住むことでお金を貰っています。東京の人は家賃150万くらいの4LLDDDDKで過ごしているらしいので、ざっと毎月148万浮いているのです。プロです。プロは「あ、人身事故だな」と、アナウンスが聞こえるより先に気づきます。おそらく職員より先に気づいている。風です。人身事故の風を感じるのです。

 アナウンスが流れると乗客が次々に文句を言い出しました。鬼のような形相でスマートフォン(通称文明の燃えカス)をタップしています。あれは何でしょうね、Twitterに書いているのでしょうか。「東武東上線」でツイート検索をすると腐るほど出てきたので事件は迷宮入りし、コナンが首を吊りました。早くも今年4回目の人身事故に、呆れながらも対策を講じる埼玉のプロ達。電車のドアが開く前にタクシーの迎車を頼んでいるつわものもいました。僕もその手段を選びました。タクシーで巣鴨まで1000円ちょっと。たぶん違いますが、これがビルドインスタビライザーです。

 タクシーの運転手とくだらない話をしながら夜の街を走ります。巣鴨に着いた時点で19時に。友人に再度ごめんねLINEをします。ちなみにRADWIMPSのくだりのあたりでもう既に最初のごめんねLINEは済ませていました。プロは違います。結局10分遅れで到着。人身事故で車内に閉じ込められながら10分しか遅れなかったことにバカウケしている友人を見下しながら、神保町のイタリアンレストランへ。

 ロベルト、最高の店でした。轢死した方も浮かばれることでしょう。また行きます。

エアバッグの論理パズル

 今でこそすべての車両に取り付けられているエアバッグだが、以前はトリガーのコストがかかりすぎたため、高級車にしか設置されていなかった。そんな中、エアバッグとは無関係のとある会社が、自社のとある製品を応用すれば安価でエアバッグを製作できることに気づいた。

 ひらめきは、多くの場合、アナロジーという思考から生まれるものである。アナロジーとは、直訳すると類推だ。Aという構造を持ったXが、A´という構造を持ったYに類似していることから、Aの要素をYに応用する。これがアナロジーである。科学の分野では頻繁に活用される考え方だ。

 アナロジーは、多くの点で比喩(メタファー)に似ている。「人生は旅である」というメタファーを考えてみよう。人生は、そのままでは理解できない抽象的な概念だ。一方、旅は誰にでも理解できる具体的な事象である。人生には旅と類似している点がいくつも見られる。我々は「まだ旅路の途中」であるし、「目的地」がある。「再スタート」することもできるし「休息」することも可能だ。また「到達点で見る景色は美しい」し、「道に迷うと絶望的に」なる。メタファーによって、「旅」を通して「人生」を理解する。この点はアナロジーと同じである。

 メタファーとアナロジーの大きな違いは、アナロジーが「面的な対応」であることに対して、メタファーが「点的な対応」であることだ。「彼女は太陽のようだ」というメタファーは、彼女と太陽を点で結んでいる。アナロジーは、構造に着目する。構造は面であり、多くの点が融合している。それゆえに、アナロジーには類推可能性が担保される。多くの点で似ているからこそ、科学の世界でも応用できるのだ。アナロジーは「構造的なメタファー」であり、より実践的なメタファーであると言えよう。

 さて、エアバッグの持つ構造はいったいどのようなものだろうか。専門的な話は抜きにして、論理パズルのように考えてほしい。エアバッグが備えていなければいけない条件を見てみよう。まず「あるきっかけで急速に作動すること」が挙げられる。言うまでもなく、事故の衝撃で膨張するエアバッグには必須の構造だ。そして「何もないときには作動しない」ことが求められる。普通に走行しているときにエアバッグが作動したら、それこそ事故である。(余談だが、エアバッグそのものの衝撃で心臓破裂、そのまま死亡したケースもある。無論、これは事故の際にシートベルトをしていなかったことが原因だ。)

 「あるきっかけで急速に作動」し、「何もないときには作動しない」という構造から、アナロジー思考を働かせる。こういった作業こそが、ひらめきを生むのだ。ひらめきとは、決して技術によらない天才的な活動ではなく、人間の脳が生み出す必然なのだ(とまでは言い過ぎだろうか)。

 安価なエアバッグを開発したブリード社には、優秀なアナロジーの使い手がいた。彼らの専門は、手榴弾だった。

計画は立てて予定は組む

 目標があるときに、細かく計画を立て、なおかつそれをきちんと実行する人を尊敬する。僕は、昔は計画フェチで、立てただけで満足するような、典型的な「勉強のできない子」だった。今はそれが無駄な行為であることに気づき、計画を言葉にするような真似をやめた。そのせいか、やらなければいけないことをよく忘れる。典型的な「勉強のできない子」は、典型的な「仕事のできない人」に成長した。

 一方で、予定を組むのは今でも好きだ。飲み会をセッティングするのはいつも僕である。仲の良いオカマとの旅行は、2か月くらい前から段取りを組む。スケジュール帳が適度に埋まっていくのを見るのが楽しい。自分がやるべきタスクを書き出す作業の百倍は心が満たされる。典型的な仕事のできない人だと痛感する。イタリアに住みたい。

 

 「計画を立てる」という表現は、誰でも使うだろう。同じように「予定を組む」という表現もよく見かける。そういえば「予定を立てる」という表現は、何らおかしくはないものの、容認度が低い気がする。もっと言えば「立てる」予定は、予定の中でも計画に近い予定だと感じる。計画に至っては、組めない。「計画を組む」は明らかに変だ。その理由を、ちょっと考えてみよう。

 「組む」ものをもう少し挙げてみる。日程、旅程あたりがパッと思いつく。予定と共通する要素は何だろうか。うーん、どれも他者を感じる。予定も日程も旅程も、誰かとの約束という側面が強いように思う。(もちろん一人旅というオシャレな趣味もあるが。)

 これを発展させて、「組む」のは他者との予定で「立てる」のは自分の予定、という仮定を設定してみよう。どちらも「予定」にしたのは、立てても組んでも一応は容認される名詞だからだ。

 「立てる」と「組む」の原義を考えてみよう。「立てる」という動詞は「立つ」が変化したものである。「立つ」は自分で行う動作だ。一方で「組む」の原義は「互いのからだに取りつき合う」である。明確に他者の存在を感じさせる。どうやら先ほどの仮定は当たっていそうだ。面白い。

 反対に、明らかにひとりで行うものなのに「組む」という動詞が使われる表現はあるだろうか。思いついたのは「時間割」だ。時間割は組むのが普通だろう。しかしあまり他者性を感じない。計画の一種なので、立てるのが自然な気がするが、みんな組んでいる。不思議だなあ。

 こんなことを考えているときは、言うまでもなく、立てなければいけない計画から目を背けているのだ。ずっと座っていたいと願う、怠惰な頭が捻くりだした、他愛もない雑文だった。