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大人気保育士のインタビューがとにかく怖かった理由

 大人気保育士ツイッタラーがこんなインタビューを受けていました。

wotopi.jp

 僕は子供を持つ親でもないし、保育士でもないので、この議論についての強い意見は持っていません。しかし、この記事を読んで湧き上がってきた感情には明確な理由があります。今回はそれについて少し丁寧に書いてみようと思います。

 彼の発言を取り出すと「(無資格保育者の導入は)保育の現状を良くするための政策」「(導入することによって)資格に意味がなくなる、というのは誤解」「お父さんやお母さんだって資格なんてないけど、お世話してる」「朝夕の時間帯や土曜はお子さんが極端に少なくても保育士は出なければならないので、その辺のフォローをしてほしいと思うことはあります」「保育業界全体の質を上げなければいけない。権利を主張する前に、講習を受けて保育の知識をつけるなどの努力をして、保育の質のグレードアップを図っていけば、自ずと希望するような道が見えてくる」といったものになります。原文そのままです。

 さて、僕なりに整理すると、彼の論旨は「日中以外の業務について保育士以外の人によってサポートが為されれば保育の現状が良くなるから導入すべきである。無資格の保育者を否定することは両親の保育を否定することと同じである。余計な心配をせずに導入してみよう」といったところでしょうか。

 一読して、僕は「怖い」と思いました。彼の議論は、記事のスペースの都合もあるのでしょうが、全体としてのまとまりを異常なほどに欠いています。それぞれの発言だけを取り出すと彼のバカなフォロワーなどは「なるほどなあ」などと思ってしまいそうなものになっています。しかし肝心の「親御さんへの安心感をどうやって担保するか」「無資格保育者の責任をどこに保証するか」「そもそも保育士が足りないことへのケアとして最適な方法なのか」といった点について、何ひとつ語られていないのです。

 ここでは当該議論に関する詳細な検討は避けます。僕自身も勉強不足であり、上記三点についても結論を出すに至りません。なぜ大人気アカウントがこのような雑な発言をしてしまったか、そこに焦点を当てようと思います。

 まず前提として、彼のインタビューは多くの人に読まれます。大人気だからです。実際に僕もこの保育士アカウントは個人的な感情によって大嫌いなのですが、このインタビューは相互フォローの方のリツイートによって目にとまりました。多くの人が読むことになるインタビューで、彼はどういう心理に基づいてこのような発言をしたか。プロファイリング的な興味がわいてきます。

 誰だって持論には自信があります。それを誰かに伝えたい。支持されたい。そういう感情が起こるのは当然です。支持されるためにどうするか。健全な人は「データ」や「論理性の追求」によってそれを成し遂げようとします。優れた論説文は客観性と論理性を兼ね備えています。支持者が増えるとそれはメインストリームとなり、追随する研究が増え、議論市場の活性化が起こります。学問や議論はそうして発展してきました。

 翻って彼のインタビューはどうでしょう。客観性と論理性に著しく欠けています。本来ならこのような持論は怖くて発表できません。でも彼はそれをしてしまった。そこには先ほど述べた「多くの人に読まれるという前提」があります。

 労せず多くの人に読まれるとき、人には「手を抜く余裕」が生まれます。僕はてぃ先生がバカではないと信じているので「意図的に手を抜いた」のだと思います。それっぽい発言だけを並べるだけで支持される土壌が彼にはあります。家でゴロゴロしているだけで飯が出てくると仕事をする気にならないでしょう。そういうメンタリティによって発表されたインタビューなのです。

 このような粗雑なインタビュー記事を、健全な論説文として読む人がいます。前述した土壌に存在する有象無象の人々です。これが怖い。狂気に近い怠惰によって生み出されたものが、同じく怠惰な人間によって支持される。この流れは何とも仄暗い未来を暗示しているようで、不気味さしか感じられないのです。