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一夜明けて

 火事という文字を見たときに、人は即座に「すべてを失うかもしれない」という想像を働かせる。それほどまでに火事の恐ろしさは沁みついている。浸透度は戦争の比ではない。僕も例外ではなかった。いろいろ投げだして駆けつけたのだった。

 新宿ゴールデン街。ここにひっそりと構えるひとつの店がある。毎週のように飲ませていただいている店だ。常連などと言うつもりはない。そもそも、この場所に常連や行きつけといった概念はないように思える。気が向いたときに顔を出し、気の向くままにお酒を飲み、気の済むまで話す。ときには友達を連れていき、その空気感を楽しんでもらう。特別な感覚ではない。たまたまその場所が性に合っただけの話だ。そんなサードプレイスでの、何てことない一幕。

 火はその店の三軒隣で鎮まった。ホッと胸を撫で下ろす心の余裕はない。消防法や建築基準法などを引き合いに出すまでもなく、ゴールデン街での大規模な火事は即座に「立ち退き」という想像を誘発する。これからどうなるのだろうという不安を抱えながら、客の分際で図々しいながらも、店の復旧活動の手伝いをした。

 まず驚いたのは報道陣の数。インタビューだけで十回は申し込まれた。店主などその倍は軽く超えていたと思う。ワンセグでニュースを見ると、どの局も火事で持ちきりだった。ちらほらと国際局の姿も見える。世間の関心の高さの現れなのか、はたまた好奇心に文字通り火をつけたのか。不謹慎な想像を巡らせながら、それ以上に不謹慎な煙草に火をつけ、店主と話す。

 最初の懸念はその日の営業だった。鎮火したのが17時前後。店主は18時半には店を開ける気でいた。しかし、系列店こそ無事だったものの、彼の本店は配線の関係で停電している。電力会社の話によると、どうやら火で電線が切れていて、代わりの電線を用意するのに一日はかかるという。懐中電灯での営業が余儀なくされた。

 飲食店が暗いことはさほど問題ではない。しかし、氷が溶けてしまうのは厄介だ。ビール以外のお酒は氷を必要とする。製氷機を確認すると、春にそぐわない涼しさのおかげで、溶けるには時間がかかりそうだった。近くにある馴染みの定食屋と話し、もし氷が足りなくなったら援助してもらう約束をする。

 店の前はちょうど火事現場が見渡せる唯一の場所だったため、報道陣がカメラを構えてごった返していた。規制線も店の目の前。これでは入るのに一苦労で、当分は足止めを食らった。知り合いの店で待機する。三階に上がらせてもらうと、生々しい焦げ跡が眼前に広がる。鼻につく匂いがその凄惨さを物語っていた。

 徐々に野次馬が引いてきたので、懐中電灯を買いにコンビニを回る。なかなか見つからなかったが、四軒目でどうにかふたつ手に入れた。店に戻って設置すると、存外に明るい。何とか営業ができそうだと、初めて安心した。懐中電灯にビニール袋をかぶせ、乱反射を利用してさらに明るさを確保する。伊東家の食卓が役に立ったのは最初で最後かもしれない。

 店には続々と人が来た。すべて店主の知り合いである。酒屋さん、友人、系列店の従業員、元従業員、元従業員の夫、記者。店は奇妙な賑わいを見せていた。様々な思いが渦巻く。しかしもとよりここはゴールデン街である。様々な思いが渦巻くことには慣れていた。いつもよりちょっと暗い店内で、いつもと同じようにお酒を飲む。少しでも助けたいという気持ちでお金を落とした、わけではなく、単に疲れて喉が渇いていただけだった。互助精神などは後からついてくるものである。頭より体が正直に反応していた。

 落ち着いた時分、友人が来てくれた。第一報をくれたのは彼女だった。ニュースを見ている時間帯ではなかったので、早めに駆けつけることができたのは彼女のおかげである。お礼を言い、他愛もない話をした。いつもの光景だった。

 不謹慎なことは承知で断言する。ゴールデン街はいつもの光景だった。肴が火事の話になっただけだ。薄っぺらい慰めを口にする人などいない。頭より体がそこへ向かわせる。メディアは「人のつながり」といった綺麗な言葉でそれをまとめたが、実態はそうではない。結局、飲みたい人間の集まりなのだ。馴染んだ街で火事が起きたらそわそわしてしまうだけなのだ。いつものように飲めなくなるのが怖いのだ。それだけの理由で、火事が起きた数時間後だというのに、この街は呑兵衛で溢れかえっていた。

 僕が目にしたのは、ゴールデン街のほんの一画の、紛れもないリアルだった。立ち会えたことに感謝している。火事くらいでは揺るがない、その不謹慎なほどにたくましい精神力に、大木に寄りかかるような安心感を抱いた。

 いつもと変わらない月夜のことである。