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読書感想文雑感

 小学生時分、読書感想文だけが8月の34日まで白紙だった。単に面倒だったこともあるが、そもそも「感想」という言葉の意味が理解できなかった。「感想文」なら「読んでいるときにお母さんから服を脱ぎっぱなしにしていることを怒られてムカついた」とか「紙のシミが虫に見えてびっくりした」といったことの方がよほど適している、とまで思った。

 読書とは、感想を抱くための行動ではない。多くは知識を得るため、あるいは単なる暇つぶしである。そもそも「ためになるから」「楽しいから」読むのだ。感想なんて「ためになった」「楽しかった」に終始するに決まっている。文を書くほどのことではない。

 五年生くらいになり、手法的にどうやら「あらすじを書きながらちょいちょい意見を述べれば格好がつく」ということに気づいた。それからは要約して適度に批判を捻り出す作業に従事した。今思えば犯罪的に無意味な作業だ。裏山で虫でもとっていた方がよほど有意義である。

 

 読書感想文を廃止するとしたら、代わりに何を課題にしよう。そう考えてみると、なかなかうまい候補が思い浮かばない。あぁなるほど、だから読書感想文という毒にも薬にもならない悪しき習慣は未だに残っているのか。楽なのだろう。書かせっぱなし、言わせっぱなしなのが。無責任だなあ。

 代替案が思いつかないのには理由がある。なるほど読書は「左脳的」であり、感想が「右脳的」だからだ。左脳で読ませて感覚を述べさせる行為が特殊すぎて、代替案もクソもない。それならいっそ「機械的要約」などに特化させた方がスッキリする。味気ないが、国語力は確実に育つ。要約ならば論理的な模範解答もつけられる。感想に論理は必要ない。よって、向上する隙がないのだ。

 あるいはこういうのはどうだろうか。スピンオフを書かせるのだ。例えばポーのモルグ街の殺人を読んだら、犯人の視点から書き直させる。これは「情景描写」を多角的にとらえる訓練になるし、何より書いていて面白いと思う。原作の表現をトレースすることで、今後使える表現のストックも増える。

 

 小学生でこのブログを読んでいる人はいないと思うし、読んでいたらただちにやめて外で缶蹴りに興じてきてほしいのだが、せっかくなので提言したい。読書感想文なんて白紙で出そう。先生に何か言われたらこう返せばいい。「これが僕の感想です。先生は白紙以上の”感想”を言えるのですか」と。親を呼び出されると思うのでそこから先は自分で頑張るんだ。お兄さんの名前は口が裂けても出しちゃだめだよ。