「棒に振る」の意味が分かりますか
ダニえルさん(@danigorou)という方がいる。何年もTwitterで相互フォローで、二度ほどお会いして話したのだが、言語に対して鋭い感性を持っている人だとつくづく思う。今回の記事は、彼の何気ないツイートから掘り下げる内容になっているので、まずは彼のツイートを引用する。
「棒に振る」ってよく考えたらぜんぜん意味わかんないのにみんな当たり前に使ってるのおもしろいな。
— ダニえル (@danigorou) 2015, 12月 7
うーん、確かに。なるほど唸ってしまい、急いでリプライをした。記事にすることを快諾していただいたので、所感を述べようと思う。
とりあえずウェブの語源・由来辞典で「棒に振る」と放り込んでみた。
これに則るなら、「棒」と「振る」に関しては解決する。しかし、改めて疑問が生じる。「に」はいったいどこから来たのだ。
慣用句化するにあたって、自然な流れを汲むなら「棒を振る」じゃないのか。棒手振りだって「棒を振る」のだ。助詞のせいできわめて不自然な慣用句になっている。この疑問を解決するには「慣用句化の過程」と「助詞“に”の意味」という両面を考える必要がある。
まず慣用句化の過程だが、いくつかの語源辞書を参照しても特に真新しい知見は得られなかった。どこも口をそろえて「不明」「棒手振りからの変化」と言うに留まり、肝心の助詞「に」が発生した原因が明らかでない。
ひとつだけ興味深いことを書いているサイトがあった。Look viseの故事ことわざ辞典(http://kotowaza-allguide.com/ho/bounifuru.html)である。語源については前述の辞典と同じだったが、助詞についての明記があった。曰く、手段を表す格助詞の「に」であると。
手段を表す格助詞「に」は、現代語での用例が皆無なので古文からの引用になる。竹取物語の一節“この皮衣は火-焼かむに”を例にとる。このように「手段+に+行為」が主な使い方である。現代語では「で」がその役割を担っているだろう。(上記の例も「この皮衣を火で焼いてみて」が訳となる。)
「棒に振る」の「に」が手段を表す格助詞ならば、言い換えとしては「棒で振る」が正しいことになる。すると「棒が手段なのか」という新たな問題が生じる。
ここまで見たうえで、どうも「棒手振り」というひとつの単語とその変化を見つめるのではなく、名詞「棒」と動詞「振る」を独立に考えた方がいいような気がしてきた。
「振る」という動詞から見よう。この動詞は、辞書的な意味では後の方に位置するが、「彼氏を振った」でお馴染みの「無駄にする。捨てる。」という意味を持つ。用例に件の「棒に振る」が出てくることもあるので(広辞苑etc)この意味で考えるのが適当だろう。
次に「棒」だが、これは棒手振りの略語だと考えるのが一番しっくりくる。棒手振りという概念自体を「棒」と表現した、そう仮定しておく。
最後に格助詞「に」であるが、前述のサイトを踏襲し、手段を表す「に」であると考える。
以上を総合し、文法を損なわないように直訳すると、慣用句「棒に振る」は「棒手振りによって無駄にする」となる。これはすんなりと理解できる意味になっている。しかし、おそらくこのように解している文献はない。察するに、棒手振りという語源としての「それらしさ」が強すぎて、品詞を分解するに至っていないのだろう。慣用句の多くはそうやって放置されている。僕が文献に明るくないだけかもしれないが、今回このようにひとつの慣用句を見つめるときに使用した参照物を例にとっても、その品詞に対する不明瞭さが気になったのだ。
検証が曖昧な点はいくつかあるが、いま調べられる文献での到達点としては申し分ないように思える。上記の推測が正しいとしても、残される課題として「慣用句化の過程」がある。こちらは一次文献の発見を待たれたい。何か情報がある方はこちらのブログまで寄せてくれると助かります。それでは。