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ラブホテル論理学

 「論理」という言葉がえらく高尚に感じられるのは、何故なのだろう。その思いがずっと頭を支配していた。論理的であることのハードルは不当に高く見えてしまう。論理的に振る舞う人は敬遠され、気難しいと誤解される。しかし、論理学と格闘すればするほど、それは明晰で優しく(易しくはない)、どちらかと言えば身近な存在に感じられるのだ。

 たとえば、推測というのは論理的に行われる活動である。卑近な例をあげるなら、雨の日、カフェから外を見やっていると、通行人が開いていた傘を閉じた。そのときに「雨が止んだのかな」と考える。これだって立派な論理だ。雨が降ると傘をさす。傘を閉じたということは、雨が止んだ。シンプルではあるが、この程度だって、論理をまったく理解していない人には到底できない推測なのだ。

 

 論理は身近なところにあふれている。「Aである。何故ならBだから。」という事実を思い浮かべてみよう。何でもいい。「トイレにはカギがついている。何故なら入ってこられると困るから。」こんなのでもいい。さて、こういった知識を、皆さんはたくさん持っているはずだ。しかし、既知の事柄を分解して推測に応用する方法を理解している人は少ない。これが、論理が身近に感じられない原因のひとつだと思う。

 話は変わるが、ラブホテルのトイレの多くはカギがついていない。初めて知ったときは少し驚いた。発見Xである。この発見Xの理由Yを推測したくなる。そのときに、既知の事柄が頭をよぎる。あるいは、Xの逆をとって、無理やり引き出す。「トイレにはカギがついている。(X’)何故なら入ってこられるとマズいから。(Y’)」これが導き出せれば、Yは簡単に予想がつく。なるほどラブホテルは「他人」が入ってくる可能性がゼロである。(Y)だからトイレにカギがついていないのだ。(X)

 こうして、論理を意識し、自覚的に推測をしてみる。非常に楽しい遊びがラブホテルにも転がっているのだ。

 

 さて、上記で扱ったものとまったく同じ構造のクイズを出す。そんなに堅苦しくないので、気楽に考えてみてほしい。舞台はまたもやラブホテル。

 

Q:ラブホテルのライターは市販のライターより遥かに着火しやすい。それはどうして?

 

 答えは敢えて書きません。もしどうしても知りたいという方がいたら僕のTwitterアカウント(@tatanai_douwa)にリプライなりDMなり送ってください。新年早々ラブホテルの話をしましたが、主題は「身近なところに論理が転がっている」なので、誤解のなきよう。いずれピンサロ論理学も書きます。誤解のなきよう。