最近使った比喩表現
レトリック(修辞表現)の中でも、比喩は最もなじみ深いものだろう。伝えやすくする、あるいはイメージを強く持たせる際に、比喩は効果的である。古今東西の作家が比喩を磨き、遺してきた。また、比喩は作家だけのものではない。自分で文章を書いたことのある一般人(当然Twitterユーザーも含まれる)にとっても、比喩は必ず付きまとうレトリックだ。
使用されることの多い比喩だが、果たしてその実、理解されているのかは疑わしい。比喩にもいろいろあって、直喩、隠喩あたりは聞き覚えがあるだろうが、転喩、換喩、提喩となると意味が分からないと思う。比喩の見分け方もあいまいで、例えば「木の下に警官みたいな人が立っている」という文章も、「みたいな」が比喩の意思を表す表現なのか、単に断定を避けた言い方なのかは、文脈に依拠する。
このように、いたるところで見かける割には、包括的に学ばれることが少ないのが比喩である。その点に関して、このブログで体系的に述べるよりも、文献を参照された方が良いだろう。比喩についての初歩的な理解は『レトリックのすすめ』という本で深まるので、是非一読をおススメする。
話は変わるが、僕はツイログというサービスを利用している。自分の過去のツイートが一括表示され、検索機能までついているので便利だ。
ふと思い立って、ツイログの検索機能を使用して自分がこれまでに拙いながらも生んできた(であろう)比喩表現を抜き出してみることにした。検索ワードは「みたい」「のような」とした。
・ラブホ予約してゴム買ってないみたいな感じ
・宗教団体の事務みたいな顔
・片岡と涌井が移籍して渡辺監督が辞任した2013年の西武ライオンズみたい
・未来から来た可哀想な人みたいに
・盆と正月が別々に来たみたいな盆
・GReeeeNのアルバムタイトルみたいに誘ってくる
・パソコンのF9キーみたいな街に
・低予算ハリウッドのワンシーンみたいだった
・高田馬場みたいな連中
・大学のサークルはauのCMみたいだから苦手
・攘夷志士みたいな顔
・解散と活動休止はピーマンとパプリカみたいなもの
・まるでたまに母校に顔を出しては抽象的な自慢をして帰るウザいOBみたいで
・何かこれ岩波文庫の上のギザギザみたいじゃないですか
・スマホいじってる姿って何か童貞の手マンみたいで
・優しいお母さんのようなコメント
・直角吐瀉物@電柱を見るかのような目で
・TOEICのリスニングCDのような滑らかさで
・バケツをひっくり返した人の涙のような小雨
・ナイジェリアのおとぎ話のような「小学校の同級生のFacebook」を
・唐揚げ定食におけるマヨネーズのようなもの
・射精した後のティッシュのような具合で
・「フォロワー数が増加するとやり出すテンプレ」のようなアレを自分のTLで確認すると科学者のような気分になる
・今期の阪神のような地味な上昇
・フナムシのような夜
・ウンコが水に落ちる音のようなキャス
・滅亡してからなおもたまに人の心の傷を抉るチェルノブイリ原子力発電所のようなmixi
・防波堤にいる魚のような人生
こうして眺めると、比喩はつくづく「なぞかけ」のようなものだと感じる。比喩するものと比喩表現に共通点を見出し、それを明かさずに比喩表現のみを述べる。読み手はそれに気づくと理解や想像が深まり、より一層主張への親近感を覚える。まさにレトリックの中のレトリック。
悲しいことに童話の比喩は捻りすぎていて理解しづらいものが多いが、それもまた醍醐味。個性的な表現ができれば、比喩が独り歩きする。何らかの引っ掛かりを与えておけば、読み手はいつか思い出してくれるものだ。そう、ちょうどアルソックのCMのような感じである。