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童話(@tatanai_douwa)の詳細です

ちょっとウザいバイトの先輩文体

 自分でも思う。いや、文体変わりすぎて気持ち悪い。ツイートとか対談ブログの編集後記とか、こう、あんまり人に読ませる気がないような、自慰行為かセックスかで言えば完全に同時三点攻めの文体だけど、ひとたび「論理的な文章とは」なんてものにとりかかっちゃうと、伝わらないことが怖すぎてガッチガチの文章になってしまう。でも文体って何なんでしょうね。あまり分解したことがないので、今回は少しだけここにアプローチしてみます。僕が真面目に書いていないときにありがちな「僕なりのレトリック」を解体していきます。スクランブル交差点で写真撮ってる外人いるじゃないですか。あのファインダーに肛門くっつけるみたいな感じです。自分の文体解説って。

 という一段落目。真面目に書く気はゼロなんですけど、一応気をかけてはいます。大家族だって全員同じ膣から出てきたように、僕の文章は全員僕から生まれました。どれも可愛い。じゃあそいつら、どうやって育てているか。いろいろなレトリックがあるんです。

 一郎くん。奇先法のアレンジ。最初の「自分でも思う」ってあるじゃないですか。こんな書き出しされても、何のことやらわからないですよね。でも、読み手は「何のことやらわからない」から読んでくれるんです。CM明けにさ、入る前の映像がちょっと繰り返されたりするじゃん。もう観たやつ。あんなん飛ばすよね。観ないでしょう。それと同じで、何が起こるか予想されちゃったら読んでもらえない。堅い用語で《奇先法》って言います。どうもレトリックの用語って堅いのよ。これまだマシな方で、撞着語法とか偽悪的賛辞なんてのもある。まぁ、仰々しい方がかえって理解しやすいときもあるし、何とも言えないよね。

 二郎くん。「いや」っていう間投詞。これがどういう効果をもたらしているか。ちょっとした接続詞っぽく使っています。何てったって奇先法。ぶん投げたら放っておかれるのが世の常。ちゃんと受け止めてあげないと。何を「自分でも思う」のか、ちゃんと明示することを示す間投詞。何で「それは」っていう繋ぎ方をしないかって? これが文体調整。くだけて不真面目な感じにぴったりでしょう、この間投詞。接続後を省くのは《断叙法》なんていったりするけど、これは間投詞で代替してるから亜種かもね。

 三郎くん。あ、三文目ってことです。ちょっと長い文。すらすら読んでもらうために「こう」っていう合いの手を挟んだり何やかんやしたけど、一番意味わからないのは「自慰行為かセックスかで言えば完全に同時三点攻めの文体」ってところだよね。自分でも分かってません。以上。強いて言えば《文脈比喩》なんだけど、その構成要件であるところの「関連性」ってやつが薄い。自慰って言えば済むのに、わざわざ「同時三点攻め」なんて言っちゃってる。比喩表現自体にユーモアを込めるの、本当によくやります。すいません。バカのひとつ覚えです。母子家庭なので許してください。

 いろいろあるけど、最後にします。「スクランブル交差点で写真撮ってる外人いるじゃないですか。あのファインダーに肛門くっつけるみたいな感じです。自分の文体解説って。」という三文。これね、まぁただの直喩なんだけどさ、配置が独特でしょう。おそらく普通の文法に則って書くなら「自分の文体解説って」から始めるよね。でも、これ、実は凄く自然な流れになってる。だってさ、まず「スクランブル交差点で写真撮ってる外人」を思い浮かべてもらいたいじゃん。それが済んだら「ファインダー」を続けて想像してもらって、「肛門くっつけ」て、それが何なのかを明示する(自分の文体解説)。大げさに言うと映画みたいに文を綴っているんだよね。これをすると、読み手の人に映像を伝えやすいというか、頭を動かさなくても読んでもらえるというか、とにかく相手への負担は軽減できる。レトリック用語で何て言うんだろう。見かけたことないから《映像化負担軽減法》なんて呼んじゃおうかな。

 こんな風に、いつも結構気を遣ってます。肩の力をモヤシくらいにして書いているように見えるでしょう。まぁそうなんだけどさ、それでも頭のどっかは動かしてるの。それが楽しいんだよね。終始「語り掛け文体」で書いたけれど、たまにはこんな練習もしたくなるんです。またいつもの堅い文体に戻るよ。新しい文体を思いついたら練習しにきます。じゃあ、またね。