詳細は先程

童話(@tatanai_douwa)の詳細です

推敲の一歩目

 「童話さんはどうやって自分の文章を推敲しているのか」と尋ねられたことがある。そのときの返事は覚えていないのだが、おそらく「あんまりしていないです」に類するような、何とも気の抜けた回答だったように思う。というのも、本当にあまりしていないのだ。正確に言うなら、自覚的に推敲することがほとんどない。勝手に手を動かしている。

 理由はふたつある。もともと文章に自信がないので、真面目に読み返すのは億劫なのだ。恥ずかしいと言い換えてもいい。その代わり、と言ってはなんだが、書き出す前に少し時間をかける。書き出してからは自分の文章を見つめたりしない。

 ふたつめの理由はもっと深刻で、僕と推敲の相性が悪いのだ。実は、推敲についての技術を学んだことがない。校正のお手伝いのようなバイトをしていた時期も、取り立てて「技術」を学んだ覚えはない。作業のシステムを理解した(暗記した)だけだった。    おそらく推敲というのは、体系化された技術ではなく、喩えるならスポーツの技術に近いものなのだろう。これをこうすれば完璧、といったハウトゥーはなく、切磋するうちにできることが増え、琢磨しているうちに積み重なり、それでも捉えきれないようなもので、怠惰な僕には相性の悪いものなのだ。見渡せないのがどうにも辛い。目標が見えないのがどうにも心地悪い。そうした思いが、僕を推敲から遠ざけていた。

 そうも言っていられない事情ができた。ブログである。言葉について語っていくブログは、今まで「レトリック」「論理」「表現一般」を軸にして、その他周辺事項をつらつら書きながら、論じる練習、エッセイを書く練習、国語の問題を作る練習などをしてきた。言うなれば日本語(の文章)のおもちゃ箱だ。このブログを続けるにあたって避けられないのは、言葉について語る文章の言葉が稚拙だったらどうにも格好がつかない、という問題だ。

 推敲をしなければならない。認識に従って表現し、そうであるべき配列に従って並べた文章も、一度自分の手から放して、客観的に推敲する必要がある。必要に駆られて初めて、自分の「推敲との相性の悪さ」を苦しく感じる。ただ救いなのは、これがまだ仕事じゃないところだ。読み手の方々と一緒に練習することが許される。と、信じている。

 ここに、掴みどころのない「推敲」について考える場を設けようと思う。手始めに、読み手の方々から何か募集しようかな。500字以内の簡単なエッセイをください。匿名でも構いません。テーマが自由だと困ると思うので、せっかくだから「日本語」で。〆切は特に設けません。条件はひとつ。僕がこのブログ上で推敲するのを許可してくれること。それでは、お待ちしています。DMでもメールでも構いません。よろしくお願いします。

 

Mail:dimdouwa@gmail.com
@