読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

詳細は先程

童話(@tatanai_douwa)の詳細です

計画は立てて予定は組む

 目標があるときに、細かく計画を立て、なおかつそれをきちんと実行する人を尊敬する。僕は、昔は計画フェチで、立てただけで満足するような、典型的な「勉強のできない子」だった。今はそれが無駄な行為であることに気づき、計画を言葉にするような真似をやめた。そのせいか、やらなければいけないことをよく忘れる。典型的な「勉強のできない子」は、典型的な「仕事のできない人」に成長した。

 一方で、予定を組むのは今でも好きだ。飲み会をセッティングするのはいつも僕である。仲の良いオカマとの旅行は、2か月くらい前から段取りを組む。スケジュール帳が適度に埋まっていくのを見るのが楽しい。自分がやるべきタスクを書き出す作業の百倍は心が満たされる。典型的な仕事のできない人だと痛感する。イタリアに住みたい。

 

 「計画を立てる」という表現は、誰でも使うだろう。同じように「予定を組む」という表現もよく見かける。そういえば「予定を立てる」という表現は、何らおかしくはないものの、容認度が低い気がする。もっと言えば「立てる」予定は、予定の中でも計画に近い予定だと感じる。計画に至っては、組めない。「計画を組む」は明らかに変だ。その理由を、ちょっと考えてみよう。

 「組む」ものをもう少し挙げてみる。日程、旅程あたりがパッと思いつく。予定と共通する要素は何だろうか。うーん、どれも他者を感じる。予定も日程も旅程も、誰かとの約束という側面が強いように思う。(もちろん一人旅というオシャレな趣味もあるが。)

 これを発展させて、「組む」のは他者との予定で「立てる」のは自分の予定、という仮定を設定してみよう。どちらも「予定」にしたのは、立てても組んでも一応は容認される名詞だからだ。

 「立てる」と「組む」の原義を考えてみよう。「立てる」という動詞は「立つ」が変化したものである。「立つ」は自分で行う動作だ。一方で「組む」の原義は「互いのからだに取りつき合う」である。明確に他者の存在を感じさせる。どうやら先ほどの仮定は当たっていそうだ。面白い。

 反対に、明らかにひとりで行うものなのに「組む」という動詞が使われる表現はあるだろうか。思いついたのは「時間割」だ。時間割は組むのが普通だろう。しかしあまり他者性を感じない。計画の一種なので、立てるのが自然な気がするが、みんな組んでいる。不思議だなあ。

 こんなことを考えているときは、言うまでもなく、立てなければいけない計画から目を背けているのだ。ずっと座っていたいと願う、怠惰な頭が捻くりだした、他愛もない雑文だった。