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童話(@tatanai_douwa)の詳細です

反義語発見ゲーム「喫茶店」

レトリック

 絶対に彼女なんて作らないと宣っていた友人が恋人とのツーショットをTwitterにアップしたとき、周りの人は口々に「矛盾しているぞ!」と文句を言った。その気持ちは分かる。しかし、その発言に大きな違和感を抱いた。
 厳密にいえば、それは矛盾ではない。矛盾とは、論理学的には「A is not A」という状態を指す。友人の言動は単に「一貫性がない」だけであって、矛盾ではない。野暮なことを言うようだが、この世は矛盾という言葉を乱用しすぎだと感じる。
 同じように、対義語という言葉の乱用っぷりには思わず目を覆ってしまう。対義語とは、Aにおける非Aを指す用語だ。つまり、両者が完全に矛盾する対となっている言葉同士を指す。その定義に従えば、嬉しいの対義語は悲しいではない。非嬉しい=嬉しくないこそが対義語である。
 しかし、これを現実で流用することにあまり意味を感じられないのも事実だ。嬉しいの対義語は事実上「悲しい」であり、そう考えた方が自然なのだ。ここで、こういった定義を緩めた「対義語」を、レトリック研究の第一人者である佐藤信夫氏にならって、「反義語」と表現し、ここでは反義語について考察することにする。


 判定基準をどう設定するかによって様々な対立軸を考えることができる。これこそが反義語の特徴である。ツイートでも言ったが、人間の反義語として考えられるものだけで機械、自然、動物、神、と枚挙に暇がない。当然、新たな判断基準が生まれれば、新たな反義語が生まれる。月とスッポンを反義語として考えた昔の人は、決して辞書的な意味での対義語としてこれらを並べたわけではない。また、現代的な反義語の例として肉食系男子と草食系男子を挙げられない人はいないだろう。これらは発見した人によって設定された新たな判断基準と言える。
 言葉に対して、新たな判断基準を設ける。言い換えれば、その言葉の属性や性質、特徴といった部分に、新たな視点を介在させる。こうしたプロセスを踏むことで、今まで反義語として考えられてこなかった言葉同士を、新たに「反義語認定」することができる。こうした観点から、Twitter上で、喫茶店の反義語をアンケートしてみた。以下、結果から分かることを述べていく。


 有効回答数は本日正午の時点で38だった。回答のジャンルを大まかに分けると「飲食店」「施設(飲食店以外)」「物体」「その他」となった。回答が複数寄せられたものに「自宅(自室)3」「ファミレス2」「給湯室2」があったが、それ以外はすべて別の言葉となった。この点、喫茶店の反義語がいかに多くの判断基準によって考えられるかの証左となっている。
 グループ1、飲食店に含まれる回答を順不同に並べる。立ち食い蕎麦屋、ファミレス、牛丼屋、立ち呑み屋、居酒屋、キャバクラ、スタバ。この中でも目を引くのはスタバだろう。言うまでもなくスタバは喫茶店である。喫茶店の反義語として喫茶店があがるという点については後で詳細に検討する。立食形式の飲食店が複数挙がったのは、喫茶店が「座ってゆっくりする場所」だからだろうか。反義語を挙げてもらうことで、喫茶店のどこに重きを置いているのか、つまりどこを判断基準にしているのか、それが見てとれる。
 グループ2、飲食店以外の施設。これは回答数が一番多かった。コンビナート、独居房、公園のベンチ、給湯室、公衆便所、ボクシングジム、会社、給水所、自室、ディスコ、ラブホ、パチンコ屋、ゴミ捨て場、トイレ、コーヒー農園、コンビニ、旦那の実家、禅寺。特徴的なものが多く、ひとまとめにして論じるのに苦労する。しかしやはり共通するものに「騒がしい」「汚い」といった要素がある。飲食の要素を抜いたことでより対極に位置している点も面白い。判断基準に「飲食物を提供する」という観点を設けたことに由来するだろう。
 グループ3、物体。形あるものをあげた例があった。原発、女性、江頭2:50、尿瓶、膿盆。ここまでくると何を判断基準にしたかいささか読み取りづらくなる。尿瓶は面白い。喫茶店との共通点は「液体を扱う」というただ一点だろうか。
 グループ4、概念。Twitter、ライブフェス、井戸端会議、入院。形すら失ったものの、グループ3よりは判断基準が分かりやすい。Twitterは「話をする場所」という観点から、三次元と二次元という対立軸を設けて、反義語へと位置付けている。ライブフェスはさらに「一方的に歌を聴く」という対立軸を加えている。秀逸な例示である。


 こうしてみてみると、どれも「共通点」を見つけることから出発していることが分かる。反義語は実は同義語である、という方向へと議論は進んでいくだろう。何かしらの共通点があるからこそ、反義語としての説得力が生まれるのだ。
 給湯室を取り上げてみよう。給湯室は、喫茶店と同じで飲料、特にコーヒーを淹れる場所だという認識がある。この共通点こそが、給湯室を反義語として挙げるに至る理由となっている。相違点は「サービスとして提供されるかどうか」というところだ。この判断基準によって、喫茶店と給湯室というふたつの言葉は対極へと位置付けられる。
 スタバはどうか。喫茶店とスタバの共通点はあまりにも多い。というより、喫茶店という集合の中にスタバが内包されているといった方が正しいだろう。しかし、ここでは喫茶店を「落ち着いた場所」という判断基準によって、スタバ(落ち着かない場所)の対極へと位置付けた。スタバの客層と、いわゆる「喫茶店」の客層を見比べたときにも、何か感じることがあったのだろう。奇妙に納得させられてしまう面白い例だ。例題が「純喫茶」だとしたら、さらに反義語らしさが高まる気がする。
 喫茶店の要素を余すところなく抜き出し、それらに対応するような例を考える。反義語発見ゲームの面白さはそこにある。喫茶店の要素を抜き出すという行為は、喫茶店を見つめなおすという思考に繋がる。抜き出された要素が人それぞれ違うため、反義語として挙げられるものも自然と多様性を帯びていく。ひとつひとつについて詳細に立ち入る余裕はないが、考える意義は十分に見出してもらえることだろう。


 もともとこの対義語の議論の自分の中での出発点は「緩叙法」と言われるレトリックからだった。その研究の中で対義語の重要性の指摘が為されていたため、戯れにTwitterで募ったところ、想像以上に面白い例が集まった次第である。いずれ場所を改めて「緩叙法」の認識自体の議論をしてみたいが、その際にはまたTwitterを利用して例を集めてみようと思う。ご協力してくださった皆さん、ありがとうございました。