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童話(@tatanai_douwa)の詳細です

センター現代文必敗法

 もうすぐセンター試験ですね。受験生の皆さんは、弛まず努力した時間をマークシートにぶつけるだけなので、この記事を読む必要はありません。大人の皆さん。センター試験の思い出を受験生に語るのだけはやめましょう。SNSで自伝をこれみよがしにアップするのも大罪です。過去は何の意味もありません。今を生きる受験生を邪魔しないであげてください。

 

 このブログは「言語について考える」ブログです。今まで文章を書くことについてはいくつか持論を述べさせていただきましたが、読解というトピックについては触れてきませんでした。この記事は読解についての持論です。ただし(この記事の中で最も重要な接続詞です)、これは読解についての技術的な方法論、ましてや僕の体験談ではありません。あくまで言語について考える際に、どうしても付きまとう「読解」という要素について、このブログなりのアプローチをするに過ぎません。この記事が点数アップにつながると思う人はいないと思いますが、念を押します。この記事フィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

 どんな参考書も「読解をする際に重要な点は」などという書き出しから、多くの技術を並べ立てます。やれ主張を取り出す、やれ接続詞に注目する、やれ要約はこうやってやる……と。どれもまっとうな意見です。役に立つでしょう。僕が懐疑的なのはまさに「役に立つ」という点なのです。

 役に立つ。何に、でしょう。文章の要点をつかむこと。点数を獲得すること。いい大学に合格すること。その通りです。どれも重要です。決められた時間内で勉強した技術を正しく動員して点を獲得する。社会では求められる姿勢です。受験は総じて「社会で求められる作業についての能力を測る場」なので、当たり前です。出題者はこれを求めます。

 読書とは、どういった活動でしょうか。読解とは、どういった姿勢でしょうか。社会で求められる作業という側面も当然あります。レポートを読む。書類を作る。資料をまとめる。どれも読解力ありきの作業です。正しく読めない人は(あくまで社会的に)使えません。しかし、声を大にして言いたいのは、読書のもうひとつの側面。大切な大切な要素についてです。

 対話。読書とは、筆者とのおしゃべりです。おしゃべりは仕事に必要のない、いわば無駄な時間です。それがしたくて読書をします。読解とは、相手の声をキチンと聴くことです。センター試験にそんな時間はありません。さっさか聴いて、さっさか答える。おしゃべりではありません。きわめて事務的な会話です。そしてその会話の相手は、筆者ですらない場合が大半です。出題者。出題者との事務的な会話を通じて点数を取るのがセンター試験です。「点数取れよ」「わかったよ。こんな風に勉強してきたんだけど」「はい、OK」というきわめて無味乾燥な会話によって、受験は成り立っています。これは果たして読解と言えるでしょうか。

 おしゃべりをしたくて読書をします。そもそもセンター試験は読書ではないのです。そこには当然、能動的な読解も存在しえません。あるのは事務的な会話だけ。ここまで読んでいる受験生はいないと思うのでこっそり言いますが、センター試験の現代文は出題者と事務的な会話をするという「脳」にスイッチを入れれば確実に点数が伸びます。でも、こんなものは読書に必要ない脳なので、終わったら捨てて構いません。と、老害の蛇足を加えてしまいましたが、お許しください。

 

 以前、論理的な文章は読み手との対話意識を持って書かれている、と述べました。出版されている良書がこれを意識していないはずがありません。対話意識がある文章を読んで、その声に耳を傾けないのは、読解とは呼びません。センター試験でいい点を取ることは、確かに事務的な会話の素養として一定の物差し的機能を果たしますが、読解力だと思ってはいけません。これからの読書が楽しくなくなります。

 無駄話を楽しみましょう。せっかく名だたる文豪が対話意識を持って語り掛けてくれます。ゆっくり、時間をかけて読みましょう。要点をつまみ出すような無粋な真似をせずに、接続詞を機械的にマークしたりせずに、さっさと要約したりせずに、読みましょう。筆者の認識を見て取りましょう。筆者の巧みな配置に酔いしれましょう。筆者の高尚な表現に舌を巻きましょう。聴きとったら、返事をしてみましょう。

 

 もう受験などしない皆さん。60分の枠など気にせず、しゃべり疲れるまで読解してみませんか。