『姉にバレないようにこっそり姉の彼氏とキスしたらいつの間にかエスカレートしちゃった妹www』における姉
キッチンに立つと、ユカはたちまち楽しくなる。リズムよく動く包丁は、まるで自分の手を離れているかのように軽やかで、自分もその包丁になりたいと思うほどに愉快げだった。しばしば会話も聞こえないくらい料理に夢中になる。最近ハマっているスペイン料理から、お酒にぴったりな和食、ユカの彼氏が大好きなカレーも、レストランで出してもおかしくないくらいの腕前だ。
今日は妹のマナミが遊びに来た。何でもパソコンの調子が悪いそうで、このままではレポートの提出期限が過ぎてしまうと、SEをしている彼氏に助けを求めてきた次第だった。早速リビングで作業を始めたふたりを尻目に、夕飯の支度をする。急な来訪だったが、もともとカレーを作る予定だったので問題はない。ちょっと多めに米を研ぎ、炊飯器のタイマーを設定する。あとは朝のうちからじっくり炒めておいた玉ねぎに、ゴロゴロ野菜を投入して、じっくり煮込むだけだ。二時間もすれば完成するだろう。
「ねえ、タツヤくん、どのくらいで終わりそう?」
ユカはリビングでパソコンと格闘している彼氏に声をかけた。
「あぁ、ウイルスがいくつか入っちゃっただけだから、うーん」
「一時間もあれば終わるよね?」
マナミが横から茶々を入れる。
「そうだな、そのくらいかも。お、今日はカレーか。同棲してから初めてじゃないの」
「なに言ってるの、二回目でしょ」
「あ、そうかそうか、悪い。ユカのカレー好きなんだよな。期待してる」
いつものような会話も、妹に聞かれていると思うと何とも気恥ずかしく、いつもより早く打ち切ってしまった。目線をまな板に移し、ニンジンを切り始める。
そのとき、何気なく開けた引き出しにあった醤油の小瓶が空に近いのを発見した。
「やばい、醤油がない」
「えー、カレーに醤油なんていらなくない?」
妹が能天気な口調で訊いてきた。
「ダメだよ、私流のカレーは最後に醤油で味整えるの」
「このへんスーパーなんてあったっけ」
「コンビニがあるよ。この醤油ならコンビニにも売ってるから、ちょっと行ってくるね」
カレーの調理をキリのいいところまで終わらせて、ユカは財布を握りしめて家を出た。コートも着ずに飛び出したことを後悔するくらい、一月半ばの街角の空気は冷たかった。包丁の切っ先で親指の腹を裂いてしまったときに似た痛みを、日没が近づいた冬の風で感じながら、ユカはコンビニへと向かった。
そういえば鍵を閉めていなかった。すんなりとドアを開けると、何やらリビングが騒々しい。
「ただいま。何ドタバタしてるの」
「い、いや、コード踏んだらパソコンがフリーズしちゃってさ。ほらマナミちゃん、パソコンはデリケートなんだから」
「ごめんなさい! 焦ったあ」
「何してるのよお。あ、いけない、早く煮込まないと」
ユカはあまり気にせずにカレーに取りかかった。十五分の遅れは、カレーにとっては命取りだ。煮込む時間が短いと少しシャバシャバしてしまう。味気ないカレーほど悲しい夕食はない。ユカは腕をまくって、作業を続けた。
くつくつ、可愛い音を立てながら煮立つ鍋を横目に、サラダを作り始める。葉野菜を食べやすい大きさに千切り、プチトマトを切る。と、そこで、ユカはあることを思い出す。
「ねえ、マナミー、あんたまだトマト嫌いなの?」
リビングの方には目を遣らずに質問する。コンマ何秒か不自然な間があったが、マナミは同じくらいの声量で的確に、
「大丈夫だよー!」
と答える。安心して三人分のプチトマトを切った。
ふと思い立って、ドレッシングを手作りすることにした。白ワインビネガーをちょっと加えた大人の味。カルパッチョなどでよく使うので、きっとサラダにも合うだろう。オリーブオイルと調味料を混ぜながら、カレーの様子を見る。いい感じにとろみがついてきた。先ほど買った醤油を少し足す。煮立たせることで醤油の香りがより輪郭をくっきりと見せる。ユカは包丁を洗い、支度を整えた。あとはカレーができれば夕飯だ。
ふと振り返り、ふたりを呼ぼうとした。その刹那、ユカの目に飛び込んできたのは、明らかに、そう、明らかにセックスをしているふたりの姿だった。
ユカはとっさに目を背けた。視線の先にあった光景を忘れようと、カレーを見る。さっきまであんなにおいしそうだったカレーは、ただの物体のように、その黒さを増してユカの脳を締めつける。
あまりの出来事に、声が出ない。
爆弾の導線が、徐々に火花を胴体に近づけていく。ユカはただ静かに、自然と体が動くのを待った。
狂気が目を覚ますきっかけを探した。
すべてを裏切られた気持ちに、冷静な感覚でもって理由をつけることなど、今のユカにはできない。
正常なリズムを狂わせたいと思った矢先、目に飛び込んできたのは、ユカのお気に入りの包丁。
リズムよく動く包丁は、まるで自分の手を離れているかのように軽やかで、自分もその包丁になりたいと思うほどに愉快げだった。